rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

抽象とリアル


リアルという言葉は、日常会話の中でも
よく使われる。具体的で分かり易いよう
だが実はそんなに簡単なものではない。


鉄の塊が目の前にあるとする。それを見て
触って、匂いを嗅いでみる。一見具体的な
行為のように見えるが実はそうではない。
それを鉄だと認識できなければそこには
リアルは存在しない。わけの分からない
物質と対しているという現象しかそこには
ない。


鉄という金属とその組成、重量、使用方法
などを理解していないと本当の意味でリアル
に鉄に接することが出来ない。人間である
以上、ものの成り立ちが分かって初めて
リアルが立ち現れてくるのだ。このように
リアルは人間なあたまの中での抽象作用
を通さないと生まれてこない。ものごとは
全て具体的であり抽象的なのである。


思春期の頃、ものやこと、そして社会に
リアリティが感じられないのは、具体的な
対象を抽象化を通して体感できないから
だ。一見分断されているように見える世界
は実はシームレスにつながっているのだ。


これからもリアルを常に体感しながら生き
ていきたいと思う。