rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

抽象と具象の間で


人間が物理的存在である限り、目の前で
起こることは具体的である。なにか活動
しようとする場合も最終的に表現される
ものは具体的なものとなる。


身の回りに起こることは、具体的であるが、
ただそのままの状態ではバラバラで各
事象間にはなんのつながりもない。しかし、
各事象の類似性や連続性を分析していく
となんらかの関係性を見い出すことが
できる。この分析的作業の結果、見えて
くることこそが抽象性なのである。つまり
抽象化とは世界そのものの成り立ち方を
見つける作業と言い換えることができる。


具体的なことをやっていきながら、抽象性
を見つけ出す。抽象的思考方法で世界を
分節し、具体的なものへ還元していく。


アートや文学や建築の世界には、コンセ
プチュアルなアプローチがあるが、抽象
だけでつくられるものには迫力がない。
抽象と具象の間を行き来し、ときには横断
し、またあるときには縦断する中で、その
作品は断片化された具象でもなく、実体
のない抽象でもなく、本物のリアリティを
獲得していく。


なにかやろうというときは、そのなにかは
具体化しないと意味がない。単なる具体的
なものではだめだ。抽象性の網目を通した
具体性でなければものごとが先に展開して
いかない。抽象的でありながら、具体的で
なければいけない。また、具体的ありなが
ら、抽象的でなければいけない。


そんな作業を繰り返しながらいつも建築を
つくり続けている。