rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

{社会][サッカー]個の確立が先か、システムの確立が先か


タマゴが先かニワトリが先かの議論と似ている。
タマゴとニワトリの場合、ほんとうにどちらかがないと、
タマゴの存在も、ニワトリの存在も立証できない。


個とシステムの問題は、立証する必要のない問題なので、
どちらが先でも問題ない。


こんなことを考えたのは、サッカー日本代表のこと、
ジーコ監督の指導法について、今までの試合を振り
返って思い出してみたからだ。


ジーコは、自由なプレーということをことあるたびに
言ってきた。選手個々の身体能力がしっかりしていて
はじめて、自由なプレーやクリエイティブな連携は
可能になる。ブラジル代表について語っているのなら
だれでも簡単に頷ける。


オフト→(ファルカン?)→加茂→岡田→トルシエ
これまでの日本代表の指導方針はほぼシステム中心だった。
たしかに、以前より選手の身体能力は格段とよくなった。
パスもきれいにつながる。オフト以前の日本代表は、
パスは連続してつながることは自体がめずらしかった。


もし、システムについて指導しないなら、運動能力の
高い選手が各選手同士で一対一の関係や全体像を対話
しながら見つけ出し、全体の自由な連携をつくり出して
いかなければならない。いまの日本代表はそれができる
のだろうか。


もしかすると、中田英寿選手が言っているように、個々の
意志の問題なのかもしれない。個々の意思が選手それぞれに
芽生え、対話なりセッションすることができるようになると
個とシステムの確立の可能性が高まってくるのかもしれない。


個とシステムの問題は、個を確立しながらシステムを構想する。
システムを構想しながら個を確立するという相互横断的に
解決していくものだと思う。この視点からいくと、いまがまさに
日本代表が取り組むべき時期なのかもしれない。


この問題は、世の中どこにある問題にも関係しているが、
とくにこの日本という国の中でもっとも真剣に考えなければ
いけない問題のような気がする。


まちづくりも、建築の設計も、打合せも、現場での対応も、
同じような問題をはらんでいる。


サッカー日本代表に、個とシステムの問題に対する希望の
ひとかけらでも見せてもらいたい。とにかくおもしろい試合を
してほしい。


●写真は、庭のアジサイ。確実に梅雨は忍び寄ってきている。