rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

置き去りにされた電柱


きのう、雑誌社から「道路」に関する取材を受けた
こともあってやたら道路のことが気になっている。


土地や家がプライベートとすると、道路はもちろん
パブリックな領域ではあるが、パブリックな社会と
個をつなぐラインのようなものである。


そのライン上では、個と社会の軋轢や、道路を
通しての個と個との摩擦が生じる。


ラインは何かと何かをつなぐものである。という
ことは人や車の移動に使われる以外に、電気、
情報、水、排水、ガス、などなどのものが行き来
する。水路や地下鉄も道路と密接な関係がある。
このように道路をみてくると、俄然興味深いものに
なってくる。道路網は都市構造そのものであると
いうこともできるかもしれない。それゆえ道路計画
には、さまざまなレベルの人々の思惑が絡み合う
のだろう。


写真は、道路上に置き去りにされた電柱である。
もともとは、道のはしっこにあった電柱が、建物を
新築するに当たって、道路法に従ってセットバック
したがゆえに、道路上に置き去りにされてしまった。
さて、誰が移動させるのだろう。