rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

個人のフツウ|世間のふつう


独立したてのころは、とにかく、自分が考えた
デザインを実現したいと思っていた。言わば、
自分の思いをクライアントに押し付けていた
ともいえるかもしれない。


30代半ばころから、クライアントの求めるフツウ
をとことん追求してみるという方法につくり方
を切り替えるようになった。


クライアントのフツウは、より拡大し突き詰めて
いくと、どんどんおもしろいものになり、ほか
の人から見ると、まったくフツウではないもの
になる。また、建築的にもおもしろくなることも
分かった。個人のフツウは、なかなかいける。


この考え方でいくと、クライアントの要望を
かなえながら、同時に建築的な質も高めること
ができる。


やっかいなのは、世間のふつうである。突出した
ものを引き摺り下ろし、世間に埋没するようと
する力が働く。これに従っても、クライアントの
要望をかなえることもできないし、建築の質も
よいものになりにくい。


世間のふつうは、あまり意識しないで、個人の
フツウに素直に従って生きていこう。