rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

仕事をフツウに人と人が出会うためのしくみと考えてみる


なんのために生きているのか、なにをするために
生きるのか。よ〜く考えなければいけないことだが、
すぐに答えが見つかる問いではない。でも、分から
ないなりに考え続けたほうがいいことではある。


きょうも仕事について考えてみた。世界経済の
ために、世界の平和のために、などと高尚な目的
をただ持つことはたやすいことだが、具体的に
なにをすればいいかとなるとなにも分からない
のがふつうだ。


そこで、仕事をフツウに人と人とが出会うための
しくみと考えてみてはどうか、ということを提案
してみたい。


自分で考えてみても、なぜ仕事をしているかと
いえば、だれかと、世界のこと社会のこと家族の
ことを話したいからだ。お酒を飲むのも、同じで
酔っ払うことでより話がグルーヴ感を感じながら
それらの話ができるからだ。このとき、〜のため
にという高尚な目的もあたまの片隅に置きながら、
なるべくそちらの方向に話が進むようにする。


建築の設計をしていて、すごくおもしろいのは、
ふつうでは会うことができない、さまざま仕事
をしている人と出会えることだ。その人たちの
ために、最もフィットする建築をデザインしよう
と心がけながら、先程の高尚な目的とリンクさせ
ていく。そんな仕事の仕方をし続けている。こう
すれば、人と会って話すことを楽しみながら、少し
でも大きな目的にも連続させていける。


このことは、建築の設計だけに限らず、ほとんど
の仕事についていえることではないかと思う。


仕事をフツウに人と人が出会うためのしくみと考え、
人と対話しものをつくりながら、より大きな目的に
リンクさせていく。そうすれば、そんなに肩肘張ら
なくても、ちゃんと社会とリンクしていけるのでは
ないかと思う。