rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

対話の精度


なにが楽しくて生きているのだろうかと、ふと
考えることがある。


建築を考え、つくっていくのは好きだ。つくって
いく上で、依頼主と対話しプロセスを重ねるの
もおもしろいと思う。


総じて、他者と協力して対話しながら、なにか
をやり遂げることほどおもしろいことはない
ように思う。


酒を飲んで話すのが好きなのは、他者と同じ
目的を共有して、その過程についておもしろ
おかしく話せるからなのだと思う。だから一人
で酒場で飲むのは苦手である。


対話といっても、最初はみな他人であるから、
こちらのことをさらけ出し、むこうの様子を
探るというところから、対話ははじまる。まず
は、核心を探すために周縁について話す。


はじめはこのように、対話には精度などない。
対話を重ねていく中で、相手がなにを求めて
いるかを見つけ出していく。


建築の設計だと、対話の精度は、当初のゼロ
から、だんだん高まり、完成の時点で頂点に
至る。完成後もこれを維持し続ける。これが
プロセスを重ねるということであり、こうなら
ないと、建築の設計は成功したとはいえない
と思う。


サッカーにおけるパスの精度も、コミュニ
ケーションという視点で見ると、対話の精度
と同じようなものなのかもしれない