rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

つくり手の構え

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建築家として、クライアントと施工者と関わる時、デザインと設計で責任を全うするべくそのチームに加わる。デザインと設計をするということは、クライアントと寄り添いまだ見ぬ空間を専門家として考え、クライアントの言葉からエッセンスを紡ぎ出し、かたちと空間をともにつくり上げていくことである。

 

クライアントや施工業者と関わる時は、必ず「対話」をする立ち位置を取る。建築とくに住宅の場合の共通の目標は、クライアントが長きにわたって豊かに幸せに暮らすことができる建築空間をいっしょにつくり上げることである。つまり、「対立」する立場はあり得ない。「対話」を繰り返しながら、空間デザインで前向きに責任を果たすべくよりよい建築空間を見つけていく。

 

自らの頭で考え、クライアントと施工業者と関わり、「対話」を繰り返しいい建築をつくる、これが建築家の仕事である。これがつくり手の構えなのである。

 

このつくり手の構えを取るには、大きな覚悟が必要になる。空間デザインで責任を全うするという覚悟である。

 

世の中で、若年層の人たちが、権力側に流れがちなのは、面倒なのでその覚悟をしたくない、責任を取りたくない、という風潮が蔓延しているからなのかもしれない。人は社会に生きている以上、政治や社会に対して自らの頭で考えコミットしないとそれらはより良いものにはなっていかない。その行動を取って初めて、充実した人生を送ることができるのではないかと思う。