rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人生、思い通りにいかないからおもしろい


これまで生きてきて、ものごとが自分の思い
通りに進んでいったことは一度もないように
思う。


建築家というこの道に進んできたのも数人の
人たちの後押しがなければこんなリスキーな
仕事についていなかったかもしれない。建築
の設計を仕事にしたいとは考えていた。でも
こんなところまで来てしまおうとは考えても
みなかった。偶然の積み重ねがこの状況を
つくってきたように思える。


建築の仕事の中で、る問題に対して十分すぎる
120%以上の準備をしていても問題は必ず最低
5つくらいはアクシデントに見舞われる。準備
をしているから回避方法が有効に機能してくれ
る。だから何とかこれまでやってきた。しかし
意識的ではないにせよ少しでも手を抜こうもの
なら問題は問題を呼び込み回避不可能になって
しまう。本当に思い通りにいかない。逆に準備
が十分でなくともなんとなくうまくいってしまう
こともあるが、このケースが次の問題を生む
種になる。もっとも気をつけなければいけない
トラップの一つである。


建築の設計も将来を考えていろいろ手を打っ
ていてもそのようにならないことが大半である。
かといって準備していないと逆のことも起こり
うる。ほんとうに難しい。


一見、人生も仕事も意識的に自分が動かして
いるようにおごってしまうことがあるが、実は
なにか見えざる手に導かれているものなのかも
しれない。でも、反対に自分の思い通りにもの
ごとが進んだらどうだろうか。難しい仕事を
こなす達成感はだんだん薄れ消失していって
しまうかもしれない。そうなると、人生の意味
も見えにくくなってきてしまう。


人生は思い通りにいかないからおもしろいと
高をくくって生きていくのがいいのだろう。思って
もみないことが起こることもあるし、間違って
思い通りにいってしまうことももしかするとある
かもしれない。分からないからおもしろいのだ。


しかし、世界、国家、自治体、会社、などで
はそんなことを言っていては何もよくなって
いかない。コントロールできる可能性を高め
る施策を講じる必要がある。個人の場合と異
なり集団の場合はなんらかの可能性を高める
という方法がある。このことにみんなもう少し
敏感になる必要があるように思う。いまこそ、
その意識が必要なときのような気がしてなら
ない。


個人の場合はなにが起こっても受け入れ、それ
をよりよい方向に転じるように動き、集団の場合
は全体がよりよい方向に向かっていく可能性を
高めるための具体的な行動を取っていこう。