rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

カレーうどんの誘惑


きょうは、お昼にカレーうどんを食べた。
それも、七味をたっぷり入れて辛めで。
いよいよ、カレーうどんの季節の到来で
ある。カレーライスでもなく、カレーそば
でもなく、カレーうどんなのである。


カレーうどんを食べるのには、二つの理由
がある。ひとつは、からだを芯から暖め
たいとき。もうひとつは、お店に繰り広げ
られるカレーうどん現象を見たいがため。


お店でカレーうどんを食べていると、店中
カレーうどんエフェクトが生じる。大体、
後から来た人たちが何人かがカレーうどん
を頼むという現象が最も起こりやすい食べ
物である。それは、カレーライスでもカレー
そばでも起こらない。カレーうどんでなけ
ればならない。においだけの問題でない
ことがこれで分かる。なぜだか分からない
が、カレーうどんでなければいけないのだ。


きょうのところは、私がいる間にはだれも
注文しなかった。後ろのおばさんが何やら
カレーうどん話を始めたにとどまった。


カレーうどんには、危険な一面がある。返り
カレーである。しばしば、この返り討ちに
合う。


カレーうどんは、この季節、人を強く誘惑
するが、返りカレーに気をつけなければ
いけない。つまり、味わいながらも、窮屈
に食べなければならず、食べ方の流儀も
強要される。このようなアンビバレント
が、カレーうどんの魅力の本質なのかも
しれない。