rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人間のため、自然のため・・・


かつて、人間が神々のしもべであるという
確固たるヒエラルキーが存在していたときは、
神の監視のもと、人間と自然は何隔てること
なく共生していた。


神の監視を離れて、人間が意識を獲得した
当初は、自然をコントロールするなど大それ
た考えなど持つすべもなく、人間の意識と
自然は共存していた。その頃のヒューマニズム
(人間中心主義)は、人間の精神を開放する
というよき側面のみが脚光を浴びていた。


しかし、人間がテクノロジーを獲得し、自然に
一方的に影響を及ぼすようになると、人間の
利益を標榜するヒューマニズムは、自然を
コントロールできるという幻想をいだくよう
になる。この幻想こそが、現代の諸問題を
引き起こしていると思えてならない。


こうした現在、人間の利益を追求するという
視野の狭い思考は捨てて、人間や生物や環境
をも含めた「自然」をよりよく保全するという
視点に立った方が、ものごとの距離を正確に
計測することができる。人間も人間で自分たち
の利益を追求していかないと人間そのものも
滅亡してしまう。


人間の利益になることの中で、自然に対する
視点にマッチするものだけを実行するという
発想が、いまこそ必要なような気がする。