rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

まちの記憶


豪徳寺に住み始めて15年になる。ここのところ
解体、新築が多く目立つ。


だいぶ前だが、豪徳寺駅が高架になった。以前
の古めかしい駅の風情は記憶の中にしかない。
その記憶も年々薄らいでいく。商店街のお店も
大きく入れ替わった。


駅前の鴨せいろ蕎麦とカツカレーがおいしかった
蕎麦屋さんはチェーン店の写真屋になった。
昭和な甘味屋さんは弁当屋さんに、洋品店
洋菓子屋さんに、パチンコ屋さんはドラッグストア
に、酒屋さんが美容室に、セブン・イレブンは
リハビリのデイケアになった。いくつか思い出
せないものもある。そして、喫茶店、魚屋、肉屋
がなくなった。一番大きな出来事は事務所裏の
古いマンションが解体された。


思い出せばそこに何があったかを思い出せる。
でも日常生活を送っていると新しくできたもの
も数カ月もすると普通の風景になる。まちは
織物のように記憶を少しずつ継承しながら変化
していく。


再開発などで、まちが一新されてしまうことが
ある。時間が経てばそのまちも記憶を醸成され
ていくことになるが、歴史的連続が突然断絶
されてしまうことでなにかを失う。


豪徳寺商店街は少しずつ更新されていく時間
感覚がまだヒューマンスケールを保っている。
だから人々にストレスを与えない。チェーン店
があまり進出してこないのもいい。これからも
このまちとともに生きていきたいと思う。