rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

建築家が生み出す空間デザインについて

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ごく一般の住宅、工務店設計施工の住宅、建売住宅、ハウスメーカーの住宅、などの住宅では以下のような項目をクリアすることを目標に設計されている。居室がなるべく南面すること、一般的な居室の広さを確保すること、機能的に使いやすいこと、などである。一般にこれらのことが満足されていれば、何不自由なことなく住宅として成立する。

 

建築家の仕事は、周辺環境や家族の関係などを考えて空間をつくり、建築をデザインすることである。住宅として成立しているものを維持しながら、同時にその中に空間デザインを忍び込ませているのである。穿った言い方をすると、空間デザインの面白さや良さに気付いていない人たちにとっては、「いらないもの」をデザインしているということもできる。

 

しかし、空間デザインを面白いと思い、心地よいということに気付いている人たちにとってはなくてはならないものなのだと思う。周辺環境と住宅の関係性が織りなす豊かさ、家族間の関係性をより活性化する内部空間などは、これから何十年かをこの場所で過ごす家族にとっては、この場所でどう生きていくかという根源的なものに関係することであり、使いやすいといった機能的なことにも増して重要なことなのである。

 

建築家は、この空間デザインという「いらないもの」を日々考え、それぞれの場所、それぞれの家族に、空間デザインのある建築を提供している。空間デザインは、貨幣価値に還元しにくいものだから、一般的な建築経済にはなじみにくい。空間デザインをクライアントに贈与し、お布施のようなものとしての設計料をいただいているという認識で設計活動を続けている。きょうは、一建築家のこんな想いを綴ってみた。