rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

境界、コモンなど

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境界といえば、職業柄、道路境界線や隣地境界線を思い出す。仕事で使っている言葉だからそれらを文字通り理解して運用している。しかしよく考えてみるとこれらは不思議なものでもある。境界線は鋲や縁石などで可視化されているが、実際運用されている線は見えないもので観念的なものである。幾何学の実態が見えない線の概念のようなものである。そもそも地球の表面に線を設定して、公共のものとしたり個人の財産とするということはよく考えてみると不思議なことだ。当たり前のこととして皆が了解しているが、実は脆弱な観念によるものだということがわかる。

 

それらの線で、道路などの公共的なものと、敷地と呼ばれる個人財産を切り分けている。まちにある建物も、公共のものと個人のものに分かれている。しかし実際にそれらを使う段になると、公共のものを個人的に使うこともできるし、個人のものを公共に供することもできる。それら公共と個人が入り混じったものをコモンということができる。まちづくりや建築で、このコモンという概念を使って、都市計画や建築計画をすることによって、まちに多様性をもたらし豊かな都市空間や建築空間をつくることができる。

 

人間の外部との境界は、普通に考えると皮膚である。しかし免疫学的には、免疫が境界となる。境界というのは、どのファクターで考えるかで様相が変わってくるものだということができる。都市や建築でも、さまざまなファクターによる境界を設定し、境界線を操作することで生まれるコモンをより複雑で多様性のあるものとすることができる。建築家というのは、日々そんなことを考えながら、都市や建築を構想している。