rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

身体性について考える

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インターネットやSNSでどこでも仕事ができるようになって便利になったが、一方で世の中が狭くなり窮屈になったともいえる。これらは、言葉(文字)ベースのコミュニケーションである。意味のやり取りであり、どんどん身体性が失われている。

 

本来コミュニケーションは、実際に人と人が出会って直接対話をするものであった。そこでは、話し言葉という音声でやり取りがなされ、相手の表情、身振り手振り、声音、など五感を駆使して多様で重層的な情報をやり取りする。こうした身体性が関与するからこそ、深みのあるコミュニケーションが可能となる。

 

身体性のあるものにはどんなものがあるのだろうか。一番最初に思いつくのは職人である。芸術家、音楽家もそれに当たる。建築も職人がつくる。出来上がった空間も身体でもって体感する。

 

言葉(文字)ベースのコミュニケーションは見直しが必要となるだろう。そして、身体性が復権を果たすであろう。