rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

金曜日、雨の一日

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きのうは、金曜日。雨が降り涼しい一日。午前中は、インターネットで建築関連のことを調べたり、建築関連本に目を通す文献研究をする。

 

お昼は、豪徳寺商店街のお蕎麦屋さん「福室庵」に行く。久しぶりにカキフライ定食を食べる。

 

午後からは、まずブログを更新する。そのあとは仕事を上がるまで、いくつかのプロジェクトの今後進め方を考える構想的スケッチを続ける。

 

自分が学生だった頃、まだ東西冷戦が続き、文化状況はポストモダンと呼ばれた時期であった。ポストモダンの渦中にあったころは、歴史を否定するモダンに代わって歴史的なものを肯定するものとしか理解していなかった。その後、デコンストラクティビズムの時代があったのだが、モダンは終わりを告げることはなかった。そのころは、東西冷戦というイデオロギー対決があったため、西側の文化状況はフランス現代思想をもとにした論理的で過激なものであった。東西冷戦が終わって気付いたことは、ポストモダンやデコンストラクティビズムなどは、イデオロギーが終焉する前の最後のあだ花だったということである。イデオロギーなき現在は、新自由主義グローバリズムという運動という文化的なものとは程遠いものに支配されている。イデオロギーが文化を支えていたことに気付かされた。このような時代状況の中で、なにを拠り所にどんな空間デザインをしていけばいいのだろうか。都市や自然の周辺環境や家族関係くらいしか、空間デザインをしていく中での核はない。こうした悶々とした環境の中で日々空間デザインを考えている。