10代の頃だったろうか、
「ひととひとの間には、ほんとうの意味でのコミュニケーションは
存在しない」と思わなければこの世の中やっていけないと考えはじめた。
一度は悲観的な気持ちになったが、ゼロからはじめればその後はすべて
プラスではないかと考えると気が楽になった。
甘えがあったり、おごりがあったりすると、
ついついこれはすべて了解事項だよねというところから話が始まってしまう。
いつも気をつけているにもかかわらず、そうなってしまうのは、
私の修練が足りないからだろう。
だから、最初から了解事項が安定しているような集まりは極力避けてきた。
どういう場所でどういう人たちと会うのかという脈絡でコミュニケーションの
意味は変わっていく。
ほんとうの意味でのコミュニケーションはもともとない、
自分が発する言葉の意味は通じないかもしれないという前提に立って人と会うこと、
それが重要だ。
それによって、ほんとうのコミュニケーションが発生してくる可能性が
高まっていくのだ。
写真のリサとガスパールの絵本もこのような虚無感の上に成り立っているように
思えてならない。