rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

見えざるもの、在らざるものをデザインすること


すべてのクリエイティブな作業は、見えざるもの、在らざるものを
デザインするものだが、建築の設計作業はクライアントも同時に
巻き込みながら進めていくというところが特殊である。


見えざるもの、在らざるものを考えるには、積分による次元の高いものや
微分によってひとつ次元の低いものを想像するという人間の潜在的
特殊な能力が必要だ。


建築の設計においては、そのデザイン作業をクライアントとともに
行うところに困難さがある。この共同作業が成功しないと良い建築が
できたとはいえないと私は考えている。しかし、多くの設計者はこのことを
怠っている。


そもそも、人間には見えざるもの、在らざるものを想像する能力が
備わっている。亡くなった人を想像することや、幽霊やお化けはその
よい例だ。この想像力によってひとびとや社会は精神的な均衡を保って
いるともいえなくない。その能力を建築に置き換えるだけのことだ。


見えざるもの、在らざるものをクライアントと建築家そして工務店とともに
つくりあげていく。これが建築のおもしろさだと思う。