rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ダレノタメ、ナンノタメ


サスティナブル、ロハスなど、環境や自然に関する
言葉がさまざまなところで飛び交っている。


私自身も興味のあることなので、なるべく参加協力
できることはやりたいと思っているのだが、うさん
くささが見え隠れするので、ちょっと気持ちが引き
気味である。


まず、人間のための環境や自然なのか、とりあえず
人間のことは置いといて、生態系全体のためなのか、
国のためなのか、地球のためなのか、宇宙のため
なのか目的が見えてこない。宇宙まで話を広げて
しまうとわけが分からなくなるので、人間だけの
ためか、人間以外のものもふくめた自然のシステムの
ためかぐらいは明確にできるといいと思う。


環境や自然のことが話されるときは、ほとんどこの
視点が欠如していることが多い。


ヒューマニズムエコロジーか・・・。


まちづくりや住まいづくりにも同じようなことが
いえる。誰のために何のためにを、限定的であるに
せよ明確にすることで、よりハッピーにものごとが
進められるような気がする。


経験からいえることが一つある。それは、直接的な
自分への利を求めるより、他人なり外部に利を
もたらす可能性があり自分への利もあるものを
選択した方が、長い目で見ると自分も含めて周囲の
人たちもよりハッピーになる。


●写真は、事務所の庭。ここのところの雨とその
あとの太陽と暖かさで緑が急成長。事務所が見え
なくなった。