rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

行為のほとんどは人と話すためにある


ふと、なぜ俺は酒を飲むのだろうと考えたことがある。
もちろん、家では一人で飲むこともあるが、一人では
外で飲まない。外で飲むときは必ず誰かといっしょ
である。つまり、人と話すために飲んでいるのだ。


映画や芝居を観ることも、あとで人と話すために観て
いる。本を読むのもそうだ。ほとんどのことが人と
話すためにあることに気付く。


これは、人にとって、コミュニケートすることの重要
さを表している。ちょっと不思議な気持ちがするが、
やはりそうなのだ。コミュニケートできないと人は
相当の苦痛を味わうことになる。


●写真は、またまた豪徳寺スミキリ事情である。今回
のものは、あやふやなまま取り残された感のある実例
である。