rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

「見えざるもの」とどう対峙するか


世の中で、問題や軋轢が生じているのは、見え
ざるものに関わるところに多いようだ。


言い方を変えると、イマジネーションに関わる部分
フリクションが発生しているということだ。


たとえば、土地の境界に関わる問題は、客観的
事実として線の位置がフィックスされているところ
では何の問題ないが、その境界線が過去にどのよう
に決められてきたか、関係者相互の関係によって、
問題が起きていることの方が多い。


政治にしても、「イマジネーションを使って」過去の
問題をどのようにとらえるか、将来の関係をどう
築き上げていくか、という局面でさまざまな問題が
立ち上がってくる。


世の中には、客観的に数字や価格によって、把握
できる世界もある。しかし、人間同士の関係を見ると、
どうしてもイマジネーションが介在してくる。


わたくしの職業でもある建築の設計についても
同じようなことが言える。「見えざる」、まちと住宅
の関係、家族の関係を具体的なかたちに落として
いくことが設計者の仕事である。クライアントとの
打ち合わせの時点では、その「見えざる」地平で
行わざるを得ない。最大限にイマジネーションを
駆使して、対話しないと先が見えてこない。工事費
についても同じだ。すべての設計が終わって、
工務店に正確な見積を出してもらわないとその
全体像は見えない。予算調整が宙吊り状態という
リスクを常に背負いながら、設計していかなければ
いけない。集められるだけの情報と、いままでの
経験値で、ソフトランディングさせるべく仕事を
進めていかなければいけないのだ。


これらの「見えざるもの」と対峙するには、関係者
が深く対話することによって、それぞれイメージする
ものの誤差を縮め、共通認識を確立していくことが
必要である。それに加えて、いっしょにつくっていく
という協働感覚を築いていくことで、より納得感の
ある、理想に近いものをつくっていくことができる
ような気がする。


それを実現するには、イマジネーションを鍛錬するか、
対話のスキルを高めるしかない。