rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

再び「利己的利他」について


熊本の地震地震そのものは落ち着いて
きたが被災者の方々の状況はとても困難
なものになっているようだ。被災で亡くなら
れた方々のご冥福を祈るとともに、避難中
の方々の状況が早くよくなるようお祈りした
いと思う。


こうした災害の状況においてはいわゆる
グローバリズム、経済至上主義的な集団
は何もなすすべがないどころか、まったく
異なる位相で災害とは関係なく自動的に
活動を続けている。(戦争の場合は彼ら
は率先してコミットし収益を上げていくの
だろうが・・・。)


災害などの場合、国や自治体、地縁血縁
関係者しか頼りにすることが出来ない。
経済とは関係がなく、「利他的」な行動が
出来るものしか機能することが出来ず信用
できない。こうした時期にグローバリズム
や経済至上主義についてより深く考えたい
と思う。


前々から、「利己的利他」という言葉を何度
も書いてきたが、いま改めて思い起こした。
一般の人は聖職者でない限りは全ての人生
を「利他」に捧げることはできない。自分の
ための「利己的」な活動の中で、「利他的」
に関わること可能性が最大限に大きい方向
を選択して生きていくというのが、「利己的
利他」である。


「利他」は、他人や社会に開く精神を持た
ないと発揮することが出来ない。つまり
「利他」は社会との接点だということが
出来る。皆が「利己的」だとそれぞれの人
は孤立し、何もコミュニケーションは発生
しない。「利他」は贈与性を持つ精神で
ある。ここがグローバリズムや経済至上
主義と真っ向から対立するところである。


「利他性」を持つことで、人々は初めて
コミュニケートすることが出来、互助性
を発揮することが出来る。社会の多くの
人たちが「利他性」を持って人々と社会
に関わることでより前向きな対話をはぐ
くみよりよい社会にすべく行動していく
ことがいま求められている。


いかなる立場の人でも「利他性」を持つ
必要があると考える。だからせめてでも
「利己的利他的」であってほしいと思う。
建築の設計に求められているのも行為
そのものが贈与性の高いものであること
から、「利他的」な行為だと認識している。
まずは少しでも「利他的」であることで
ある。


熊本地震の状況を見てこんなことを思い
出し考えた。