rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

仕事量は自分では決められない


仕事量をきちんと自分で決められれば、どんなに
いいのにと思うが、なかなかそうはいかない。
だいたい、仕事は来るときはまとまってくる。
また、来ないときは、こない。


ここのところは、決めたり、判断しなければいけ
ないことが重なっている。こうなってくると、一人
ではすべてを処理しきれなくなってくる。スタッフ
と二人三脚で設計し、クライアントとともに考え、
施工者とともにつくり上げていくことで解決して
いくしかない。


きのう書いた、内田樹氏のことばのように、仕事に
関わる人たちによる「第三の身体」という複合体を
みんなで、どのように操り、方向付けていくか、
知恵を出し合って、考えて、仕事をしていくしか
ない。


仕事量は、自分で決めるものではなく、世間様が
決めるもののようである。