rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

江戸東京たてもの園に行く


きのうは、ブログを書いてから、急遽、小金井市にある
江戸東京たてもの園」に雨の中出掛けた。まえまえから、
行ってみたいと思っていたが、いつも機会を逸してきた。


目当ては、前川國男自邸である。骨太の建築をつくる
人で、空間のつくり方については、自分自身でいままで
はっきりしたものが読み取り切れていなかった。自邸を
見て、強度のある骨太のおおらかな空間を感じることが
できた。サロンの両面開口とヴォリューム感はすばらしい。


あのころの建築家は、自邸を最初のアトリエにするのが、
独立のときのふつうなあり方だったのだろうか。サロン
で、大高正人さんと鬼頭梓さんがスタッフとして働いて
いる写真が展示されていた。9坪ハウスで一般の人にも
有名になった増沢洵さんもあの小さな家で事務所を
開いていた。


その隣にある、堀口捨己設計の小出邸にも入ってみた。
大正時代の作ということもあるが、空間性はいささか
乏しい。それより、外に出て外観から感じたのは、空間
とは切り離されたオブジェクト性である。スクエアな
ものと方行というよりピラミッドが重なり合った構成。
堀口さんは、空間性よりオブジェクト性の強い建築家
なのだろうか。紫烟荘もしかり、もしかして旧若狭邸も
あんなモダンな形をしながら、オブジェクト性の強い
建築なのだろうか。今となっては、もう見られないから
なんともいえない。


それらの建築をみたあと、数軒の民家を覗いてみた。
家のあり方は、民家的なものでいいのだとふと思った。
気密性、断熱性、便利な諸設備・・・、民家を見ている
とこれらがなぜか空しくなってくる。そこには、生活の
力強さと、シンプルな生き様を感じる。もう一度、建築
には、なにが本当に必要かを考えてみてもいいような気
がした。