rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

久しぶりに建築の本質に関わる話をする


きのうは夕方から、工務店O専務と、写真家の
「小島一郎」の展覧会を観にいく、30代で亡く
なった夭折の写真家である。作風としては、
植田正治に似ているが、植田をタイムレスと
すると、植田の写真にベクトルと時間を与えた
ような写真といえるだろうか。遠近法で切り取ら
れた道を後姿の人たちが向こうへ歩いていくの
が印象深い。後姿が多いのはなぜだろうか。
どこかへ消え去りたいという願望の現われか
・・・。


そのあと、ひと世代下の建築家S氏と合流して、
表参道近辺で飲む。久しぶりに建築の本質に
関わる話をする。建築を建築たらしめている
「透明性」という概念について。いい建築で
あるか、いいデザインであるかは、洋の東西、
過去未来を通して、この「透明性」を意識的に
せよ無意識的にせよ、とらえ切れているものは、
いい「建築」であり、いいデザインであるという
こと。あえて最近、このことを口にしなかったが、
S氏と話すうちに、彼もそれに気付いている
ことが分かり、さまざまな例を挙げて、「透明性」
のことを話す。久しぶりに愉快な夜であった。
いろいろな人にこのことを伝えていったほうが、
世の中が豊かになるのだろう。


●写真は、夜、土砂降りの中、家に戻ると、竪樋
下の枡にたまった雨水に気持ちよくつかっている
カエルである。ちょっとシアワセな気持ちになる。


きょう、セロニアス・モンクの「ソロ・モンク」という
ピアノソロのCDを買ってきて聴いている。転がる
ような音色と凝り固まったものを解き放つような
音楽は聴く人のこころを豊かに楽にしてくれる。
前々から、気になって、探していたのだが、やっと
手に入れることができた。