rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

主義主張の対立をどう乗り越えるか


自分や自分が所属する団体と相対する、人
や団体と関わるとき、必ず生じる問題である。


なにをこんなくだらないことをいうのかと
いわれそうだ。自分たちにもたらされる利益
が主義主張によって、こちらにくるかあちらに
いくかが決まるのだと考えるのが「ふつう」
である。


スポーツとくに団体競技だと、自分たちの
主張というより、自分たちの意思に従って
行動しないと勝利を得ることはできない。


前にも書いたが、個人競技の場合、二人の
からだで生成された第三の身体を、どちらが
コントロールできるかで勝敗が決まることも
あるようだ・・・。でも、この場合でも勝った
負けたが問題になるのがスポーツである。
社会の勝敗が白黒はっきりしない感を、クリア
にするために、代替行為として、スポーツを
つくりだしたということもできるかもしれない。


個人競技をヒントに考えると、二つの団体が
関係することによって生成する第三の組織体
をどうコントロールできるかで、勝敗ではなく、
二つの組織のよりよい方向性を見つけることが
できるのかもしれない。


社会で生活していく場合、勝った負けたでは
なく、お互いにとってよりよい関係を築く
ことや、長い目で見て、みんながよくなって、
自分にも将来的いいことが生じるよう行動する
のが、自分のみならず、より豊かな社会を
つくっていくには、重要なことであると思う。


さまざまな主義主張で対立する多くのものを
見て、こんなことをつらつらと考えてしまった。


できれば、自分はこんなふうに生きて生きたい
と思う。やはり、利己的利他なのだ。