rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

完結しないこと


芸術には、大きく分けて、完結を目指すものと、
開放に向かうものの、2つがあるような気がする。


完結するものは確かに美しい。しかし、円環を
描き、ただただ、完結するだけで、見るものに
与えるものは、ただそこにある美しさだけしか
ない。


一方、完結しないで、開放に向かうものは、人に
未来を予感させる力がある。モノそのものとして
は不完全であるが、希望を感じさせる。完結しない
ことに意味があるのだ。単純に完結しないものを
漫然とつくっていればいいという訳ではない。
そこには、人の想像力を喚起するメカニズムが
備わっていなければいけない。それをつくりだす
芸術的感性が必要なのである。


「芸術の神様が降りてくる瞬間」(光文社)の中で、
ダンサー金森譲が、茂木健一郎に、ダンスに使う
音楽には「隙」がなければいけないといっていた
ことを思い出した。未完成の未来を予感させる
ものこそが、イマジネーションをかきたてるの
だろう。


いつも自分に言い聞かせる。完結しないこと・・・。