rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

見えざるものをさがす旅


設計の依頼を受けるとき、だいたいの方に
いうことがある。建築の設計は、見えざる
ものを依頼主と設計者がいっしょになって
見つけていく旅のようなものです、と。


依頼主は、自分がどんな建築が欲しいかを
いちばん分かっている人であるが、具体的
にどのように建築空間化していくかについて
は、なにも見えていないといっても差し支え
ないないだろう。なにも見えていない状態で、
設計者といまここにないものをさがす旅に
出るのだ。なにも見えず、どうなるか分から
ない旅に出るわけだから、だれしも恐ろしく
深い不安に襲われるだろう。でも、反対の
ことをいえば、なにもない、見えざるところに、
自分たちのための建築空間をつくるのだから、
ものすごく希望に満ちた行為だともいえる。


おもしろいものには、出だしと終わりが分から
ないものが多い。清水の舞台から飛び降りる
勇気は必要だが、いったん腹をくくってしま
えば、これほどおもしろいことは世の中には
ないように思う。


施工者は、計画と予算がほぼ決まったところ
から、建築に参加するのだが、いくらプロと
いえども、これから立ち現れる建築空間に
までは想像は及ぶまい。よりすぐれた建築
空間になればなるほどこの傾向は大きくなる。
だからこそ、施工者も、依頼主、設計者と
ともに、見えざるものをさがす旅の参加者
なのである。


この3者がお互いに知恵と力を出し合うことで、
はじめて依頼主が望む豊かな建築空間を手
に入れることができる。


きょうも、見えざるものをさがす旅に出る。


●写真は、事務所の入り口付近のふきのとう。
いつのまにか、季節は移ろっていっている。