rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

部分と全体を行き来しながら考える


建築の設計の仕事をしていて、いつも総合的に
考えることを意識的に考えてそれぞれの対象に
挑んでいる。


建築はまず依頼主という人と関わることから
始まる。住宅なら依頼主家族全員。依頼主は
いつも同じような要望をされるとは限らない。
それぞれの人の性別、育ってきた環境、年齢
などさまざまファクターや性格によって毎度
毎度諸条件は異なる。何度も何度も相手の身
になって考える。建物の立つ敷地という条件も
ある。法律もある。同時にいろいろなことを総合
的に考えなければ最良の答えは見つからない。
それに加えて、自分にしか考えられない空間
デザインも提案しなければいけない。自分の
職能の最も重要な部分でもある。材料のことも
ある。予算のこともある。こうしたことが一気
に迫ってくるのが建築の設計という仕事である。
苦しいことでもあるが、とても楽しいことでもある。


全体を総合的に考えるだけではなく、細部の
検討も必要である。部分と全体を行き来しな
がら関連付けながらつくっていく。それぞれの
事象の関係性も考慮しなければいけない。


現場に入ったら現場監督さんや数多くの職人
さんという人たちと付き合っていかなければ
いけない。そんな中で、まずは依頼主さんに
喜んでもらうことが最重要。さらに現場の人
たちにも気持ちよくつくってもらうこと、さらに
設計者が楽しくクリエイティブに関わることが
できれば最高である。それも、最良の建築的
空間的質を確保できていれば言うことはない。


小学校の「総合的学習」というのはうまく機能
していないと聞いたことがあるが、「総合的」
というカテゴライズをしてしまった時点で本来
の「総合的」という意味は消失する。「総合的」
ということをルーティンにすることなく、ただ
縦横無尽に部分と全体を行き来して考え行動
していくことが必要である。