rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

「自分」なんてもの、ないかもしれない


ものごとを深く考えていると、「自分」なんてもの、
ないかもしれない、と思うことがある。


学校や親は子供たちに、自分をしっかり持ちな
さいという。でも、自分ってなんだろう。


自分とは意識である。つまり、脳が自覚している
ことである。自覚していないところから、アイデア
はやってくる。もしかすると、無意識がアイデア
を生み出しているのかもしれない。もちろん意識
の中で自分を追い詰めないと、無意識はまったく
発動しない。


「自分」なんてものは、もしかしたら、ないかも
しれないという意識を持っておくことが重要で
ある。


「自分なんてないかもしれないと意識する、ゆえ
に自分を意識している自分がある。」


デカルトみたいになってしまった。