rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

メディアというもの


きのうは午前中、メールの返信、ホームページの
更新など事務作業をしたあと、埼玉方面の敷地を
見に行く。途中、高田馬場駅で途中下車し、お昼
に「新雅」の半チャンラーメンを食べようと思い、
行ってみるもシャッターが閉まっていた。仕方なく、
讃岐うどんで我慢する。そのあと、書店「芳林堂」
に寄ってみるも、やはり前のパワーはなくなって
いる。


そして、敷地へ。暑い中、周辺を歩き回ったので、
かなり疲れる。そのまま、家に帰ってビールを飲む。
眠気に任せて昼寝をする。目が覚めると、午後9時。
それから、再度、寝床に入るも眠れない。そこで、
テレビの深夜番組を観ながら、メディアについて
考えてみた。


世の中には、さまざまなメディアがある。ミニコミ
誌、新聞、業界紙、雑誌、ラジオ、テレビ、インター
ネット、などなど・・・。メディアとは、その字義通り、
人と社会を媒介するものである。それぞれのメディア
には、情報の伝え方や量には異なる点は多いが、
本来の、人と人、人と社会をつなげる媒介という
役割には相違はない。


情報には、絶対的に客観的なものなどありえない。
だれかが、あまたある情報の中から必要なものを
選び、どのように伝えるかを考えアレンジするもの
だからだ。


どのような意思を持って、なにを選択し、どのように
伝えるか。そして、受取り手は、それらからなにを
読み取るかが重要なのである。それは、メディアの
種類には関係ない。原点から思考することこそが
重要なのである。


建築の空間も、人と人、人と外部空間(都市環境
や自然)をつなげる、メディア的側面を持っている。