rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

社会の中で自分が何をすればよいかを見つける方法


社会の中で自分の立ち位置を決めるのは、
基本的には自分ではどうにもならない。社会
的評価として世間が自分をどう位置づけるか
で決まる。のっけから、ネガティブな文章に
なってしまった。しかし、ある側面でみれば
これも事実である。


かといって、世間は自分の真の実力に見合う
評価は普通してくれないと考えた方がいい。
さらにいえば、評価する能力すらも失いつつ
ある。はっきりいって現代は、そんな混沌と
した時代である。評価者は自分の見える部分
しか見ることをせず、見えないものや嫌いな
ものは無きものとして扱う。


考えない世間が、人なりものやことを評価
する。いいことや発展的なことが起こりえ
ない状況である。いわば、末期的な社会的
症状ともいうことができる。


いま、われわれはこんな時代に生きている。
もの考える人たちは、このことにもっと敏感
であるべきだと思う。意識的に対処しないと、
もっと大変なことになる。


ならばどうすればいいか。とにかく、こうした
状況に自覚的である人たちは、もっともっと、
自分のあたまで考え具体的な行動をして
いった方がいい。そして、こうした意思を持つ
人がよりつながっていける状況をつくっていく
こと。これこそが、社会の中で自分が何を
すればよいかを見つける方法である。