rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

構想を練る日


これからやるいくつかのプレゼンテーションのプランが
大体まとまったので、きのうは今後のデザインの展開を
考える一日とした。


漠然と考えるということはかなり難しい。なにか規制
される要素があってデザインを考えるのは比較的容易
にできる。その規制なり対象がなく考えるのはなかなか
できない。これまで自分がデザインしてきた建築を振
り返りながら、これからの方向性を考える。具体的な
複数のプロジェクトに照らし合わせながら構想を練る。


イデオロギー不在の状況におけるデザインのあり方は
どうあればいいのかが中心の課題である。東西冷戦や
その名残があった時代はモダニズムの方向性は明快
であった。モダニズム封建社会からの脱却、産業の
発展、東西冷戦の歴史の中で進化してきた。それが
ポスト東西冷戦という状況の中で行く先を見失っている。
プログラム的思考や身体論によるデザインは、その
無方向性を示している。おそらく、無方向的でいいの
だろう。その中で建築を再構築するための要素は、
現代という時代における都市的コンテクスト、家族
関係、ライフスタイルなどの現象を分析して見つけて
いくしかない。こんなことをぼんやりと考えながら一日
を過ごした。