rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

チームで考え、チームで行動する

f:id:yoaa:20181204111044j:plain


人は一人では生きていけない。誰かに支えられ、誰かを支えながらでないと生きていけない。とくに仕事において、それが顕著に表れてくる。

 

人はチームで生きていかなければいけない宿命にあるのかもしれない。チームには大きく分けて、2つのタイプがある。立場的なチームと、目標に向けたチームである。両者は重複することが多いが、敢えて分けて考えると分かりやすい。

 

ある会社があるとする。その会社員同士は、利害関係上立場的チームとして行動していかなければ会社が成り立たない。もし、複数の会社、あるいは一般市民と組んでなにかのプロジェクトを行う場合、会社としての立場的なチームに加えて、プロジェクトの目標に向けたチームが発生する。人はいくつかのチームに関わりながら生きていくことになる。社会で生きていくということは、チームで考え、チームで行動していくことが必要なのである。

 

住宅を建築するというプロジェクトの場合、設計事務所は設計をするという立場を持つチームである。設計していく中で、そこにクライアントが加わると、クライアントが長きにわたって幸せに豊かに過ごすことができる「器」をつくるというプロジェクトの共有すべき目標が発生する。設計事務所とクライアントは、設計を進めていく上でその目標に向かって協力し合うチームとなる。工事が始まると、今度は工務店が加わってくる。そこには、設計事務所とクライアントが設計を進めてきたものを具体的に「もの」としてよりよいものにしていくという新たな目標が生まれてくる。設計事務所とクライアントと工務店は、その目標に向かって協力し合うチームとなる。立場と目標が変化していく中で、それぞれのチームで協力し合うことでほんとうにいい納得のできる住宅を生み出すことができる。

 

世の中全体も、こうしたさまざまチームが点在しながら、立場をわきまえて、よりよい目標を共有しながら、より住みやすいものしていけたらと思う。