rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

自分のあたまで考えて、自ら行動すること

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自分のあたまで考えて、自ら行動すること。人間行きてりゃ当然のことと思うのだが、その当然なことができない人が多くなってきているような気がしてならない。この行為は、自らの責任のもとでなければできないものである。大きな組織に属している人は、その責任は限定的なものとなるが、上に行けばいくほどその責任は大きくなる。

 

建築家の集まりに出ると、いつもとても楽にその集まりを楽しむことができる。それはなんでだろうと考えてみると、アトリエ系の建築家は、最終的な責任は自らで取るという覚悟で仕事をしている。ということは、自ずと自らのあたまで考えて、自ら行動するしかない。そのあことが宿命づけられている職業なのである。そんなことで、建築家の集まりはコミュニケーションも取りやすく、気が楽なのである。

 

社会的な方向性として、自らのあたまでは考えず、自ら行動しないことが、当たり前のことになってきている。危うい時代になってきているような気がする。