rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

通信手段の劇的変化

感染症下の3年で、通信環境が劇的に変化した。電話での連絡が極端に減った。自宅勤務になって、会社の電話を使えなくなって、携帯電話での連絡はプライベートの領域に属するので電話を使わなくなったのだろう。その代わり、メールでの連絡が格段に増えた。メールは、時間も距離も気にしなくてもよく記録も残るので便利なのだが、電話なら3分で済むようなことが数日かかることもある。年配の気が短いものにとっては電話の方がありがたい。

 

ファックスもほとんど使わなくなった。保健所の感染症の感染者数をファックスで連絡していたので想定以上に時間がかかったこともあって敬遠されるようになったのだ楼。複合機は、専らネットプリンターとしてだけしか使わなくなってしまった。

 

スカイプやズームなどのテレビ電話が普通に使われるようになった。当初は、その効用に疑問があったので使うことが少なかったのだが、いざ地方の住宅プロジェクトでクライアントや現場監督さんとの打合せはすべてズームで行ってみると、直接会って打合せるよりも効率がよい部分も多かった。直接会って話をすることの意味が逆にあぶり出されてきたのかもしれない。微妙なニュアンスの調整は直接会って話さないと伝わらないことが多い。テレビ電話と直接会うことを混ぜ合わせて打合せるのがよいのかもしれない。

 

1980年代から設計の仕事をしているものにとっては隔世の感がある。仕事を始めたころは、携帯電話はもちろんなく、現場事務所にはかろうじて電話があったくらいである。図面のやり取りは郵送で行いかなりのタイムラグがあった。1985年くらいからは、特記仕様書に現場事務所にファックスを設置すること記し、ファックスが現場事務所に置かれるようになった。かなり現場とのやり取りが効率化された。pdfファイルなどで現場との図面のやり取りをする今と比べるとやはりあまり効率的ではなかった。

 

どんどん便利になってきたことはとてもいいことだと思う。しかし、かつての不便な時代には何をどのように組合せ、時系列を取りまとめてコミュニケーションをするという複雑なあたまの使い方をする必要がなくなった分、伝えるべき本質的な部分がしっかり考えられているかの重要性がより鮮明になった。便利なった代わりに厄介になってしまったこともかなり多いような気がする。