rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

難解な言い回し


学生時代は、各大学の中でも特定の研究室の人にしか通じない言葉が
研究室の学生の中で飛び交っていた。
おもに構造主義を中心にしたフランス現代思想用語であった。


教養課程で早々に力学や設備を切り上げ、3・4年では、設計作業を
除いては文学部哲学科のような学校生活を送っていた。
つかわれることばは定義された難解なことばで、たしかに短い時間で
概念を伝え合うことはできた。
でも、意志なり、思考の強度のようなものは伝達できなかった
ような気がする。


実社会で設計作業をするようになって、大学で概念的に考えたことは
有効ではあるが、難解なことばで説明することしか知らなかったので、
クライアントや現場監督、そして職人さんたちには何も伝えることが
できなかった。


それらをどう伝達していくかが、実際に設計していく中での私の課題と
なっていく。いま、ようやっと難しい言葉を使わないでも空間のことや
建築を構成している意味を説明できるようになった。


それは、クライアント側に立ったとき、その考え方が有効なものならば、
何らかのかたちでその意味を伝えることができるのではないかと考えた
ときに状況が変わった。それまでは誰のためにそれらを考えているかが
不明確なままにどう伝えるかだけを考えていたので伝わらなかったのだ。


なんのために、だれのためにという目的が見えない概念は存在するに
値しない。問題は、何のために誰のために誰がどのようになにをやるかだ。


でも、難解な言い回しは、短時間で構造やしくみを理解するには便利なものだ。
いまそれらを使っているのは、自分の頭の中でだけであるが・・・。