rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ポジティブな誤読のすすめ


コミュニケーション系のハウツー本の帯には
必ず、正確で確実な意味伝達を、とある。


しかし、現実的には別人格の人間が、声や
表情、ゼスチュアで、確実に自分の考えて
いることを一寸たがわず伝えることは不可能
である。考えているあたま自体が違うことは
もちろん、各人間の経験や年齢によって
伝わるものはズレてくる。


ならば、自分が伝えようとしていることを相手
が誤読する可能性を認識した上で、コミュニ
ケートすればいいのではないか。


誤読ということばは、ネガティブにとらえると、
わるいことのように聴こえるが、普通に生活
していれば、頻繁に起こっていることなので
ある。誤読をその認識がないままにコミュニ
ケーションを続けているとそれはそれで大変
なことになるが、誤読の可能性を認識して
いれば、あながちそうでもない。


正確な意味を伝えるコミュニケーションは
果たして、よりよい発展的な関係を導くの
だろうか。発展性とは、相手のいうことばに
触発されて、相手がさらに想像力を喚起さ
れることばを返すということの繰り返しで
生まれてくる。そこには、なんらかの誤読
が介在している可能性がある。


ポジティブにとらえれば、誤読を認識した上
でそれを容認してコミュニケートしていけば、
そこには発展的な対話が生まれる。


ポジティブな誤読こそ、いまの社会をより
ハッピーにしてくれるもののような気がする。