rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

よい既得権


ふとわれを振り返ってみると、
正確に意味を理解しないで、イメージで使っている言葉が多いこと。
既得権という言葉もしかり。


政治批判として使われる場合、反動保守の悪いイメージの代表として
使われている。政治家の発言でも正確に使われていないことが多い。
自分もそうだった。反省・・・。


そこでちょっと考えてみた。
私も事業者として設計の仕事をしている。
資格以外には、法的な効力を持つ既得権はもっていない。
しかし、WEB関連のサイトにメンバーとして選ばれたり、
仕事仲間から認められて仲間の集まりに参加したり、
また雑誌編集者と知り合いになり雑誌に掲載されやすくなったり
ということはある。
仕事を展開していくとき、小さな既得権を積み重ねていって
仕事を成功に導く。
これもある種の既得権であろう。


この既得権と問題になっている既得権の違いはなんだろう。
仕事を進めていく上で獲得する既得権はほとんどその場限りのもので
能力が落ちたり問題が発生するとすぐに撤回される危険をはらんでいる。
一方、問題の既得権は一度手に入れたら無条件に継続されるものなのだ。
世襲されるものまである。
能力や状況に応じて発効される既得権ではなくなってしまっているのだ。
ルーティン化した既得権ほど厄介なものはない。
権利を維持することだけに力が注がれるからだ。
すなわち、ちっとも世の中をよくしない。


おそらく安定した社会にはある程度の既得権は必要だと思う。
しかし、既得権を保持する能力や必要性がなくなった場合すぐに
手放すことができるものでなければならない。
常に変化していくことを前提にした既得権、これが今求められている。


すがる既得権ではなく、世の中をよくするために使う既得権。


●写真は、事務所ポーチから見上げた秋の雲。
少し切ない・・・。