rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

割り切れないことを抱えながら生きる


ラショナリスト・オカムラとしましては、
白黒はっきりさせて、スジを通すというのが
表向きの顔だが、実は、割り切れないものを
たくさん抱えながら生きている。


そう簡単にラショナルには生きられないものだ。
というより、割り切れないものや釈然としないものを
抱えていることで、逆にものづくりの精神が維持できていると
いっても過言ではない。


すべてのものが割り切れたり、
世界が明確に把握できるということは、
世界との間にはっきりとした境界を築き上げていると
いうことだ。その境界の先には、無視されるものや
対立するものがあり、それらとはクリエイティブな
関係にはなりえない。


これからも割り切れないものを抱えながら生きていくだろう。
だから私は脆弱なラショナリストなのだ。