ラショナリスト・オカムラとしましては、
白黒はっきりさせて、スジを通すというのが
表向きの顔だが、実は、割り切れないものを
たくさん抱えながら生きている。
そう簡単にラショナルには生きられないものだ。
というより、割り切れないものや釈然としないものを
抱えていることで、逆にものづくりの精神が維持できていると
いっても過言ではない。
すべてのものが割り切れたり、
世界が明確に把握できるということは、
世界との間にはっきりとした境界を築き上げていると
いうことだ。その境界の先には、無視されるものや
対立するものがあり、それらとはクリエイティブな
関係にはなりえない。
これからも割り切れないものを抱えながら生きていくだろう。
だから私は脆弱なラショナリストなのだ。