rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

零度の視点をもつこと


だれかとなんらかのコミュニケーションを取るとき、
自分の立ち位置を明確にすることが要求される。


自分の立場を明確にするということはどういうことか。
自分の置かれているコンテクストやものごとの進め方の
システムを背負うということだ。


立ち位置を明確にするとどういうことが起こるか。
いまかで慣れ親しんだ既存のしくみの中で振る舞い
ものごとを考えるということだ。


いまわれわれが取り組んでいる住宅の仕事でも
似たようなことが言えるかもしれない。


今までのやり方通りでやっていくなら、
今までの積み重ねに頼ればいいからアタマを使う
範囲が少なくて済む。人間は油断しているとついつい
楽な方に行きたがる。


しかし、アウトレットの商品を多用する場合や、
クライアントが施工に参加される場合は従来の考え方を
いったん捨てなければいけない。
既存のやり方ではいろいろなところに不都合が生じる。
その度にいつも、いつものしくみに頼ってばかりいては
いけないと思い知らされる。


ちょっと引いて考えると、既成のコンテクストや
システムに依存してばかりいると、おもしろい展開も
ないし、集団そのものがつまらない発展性のないものに
なってしまう。


必要なのは、既成の考え方にとらわれない
「零度の視点」をもつことだ。
それも、意識的に・・・。


●写真は、事務所近くの家の庭に咲いている梅の花
もう、満開状態だ。