rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人は永遠に満たされることはない


子供のころ、親たちから戦時中の苦しさやつらさを
さんざん耳にたこができるくらい聞かされた。生きる
か死ぬか、食えるか食えないか、極限までに限定された
苦しみは、人間の生存に関わる基本的な問題であるが
故に、ほんとうにリアルに人間を苦しめる。


しかし今のように、生存の危機に至る、食えるか
食えないかという問題のない時代が、脳天気に幸せだ
といえるかというとそうでもない。生死に問題はないが、
選択肢が無数にある状態で何かを選ばなければならない
というのも、生死とは違う次元ではあるが、無限の人間の
苦しみを内包している。だからこそ、多くの社会問題が
発生しているのである。


私の卑近な例で言うと、仕事のないときはとにかく
仕事がほしかった。その状態は、ものつくりとしては
想像を絶する苦しみが伴っていた。かといって、
いまのように、ある程度の仕事量があればただただ
幸せかというとそうでもない。仕事があったはあった
で、うれしいことはうれしいが、今度は違う次元の
苦しみに襲われる。


おそらく、次のステップに進めばまた新たな悩みが
生まれ、そしてつぎにいけばまた新たな悩みが現れる。
永遠に満たされることがないのが人間の悲しい嵯峨
なのかもしれない。


生きていて、このことを知っているか知らないかで
生きる姿勢に大きな差が出てくるように思う。悩みは
無限であるということ、これを知りながらその先の
おもしろさやハッピーを想像し追求していけばいい
のだ。人間は永遠に自転車操業なのである。


進歩がなんなのか知らないが、人は永遠に満たされ
ないがゆえに、進歩という概念を生み出し、それを
信仰しすがることで生きがいを見出しているのかも
しれない。


だとしても、刹那的に苦味っ面をしながら生きるので
はなく、できれば、どうせ苦しいのだから、おもしろく
ハッピーに人生を駆け抜けていければいいと思う。