rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

コンプレックス=ジェネレーター


私は、人に対して、世の中に対して、そして
あらゆるものに対して、様々なコンプレックス
をいだいてきた。また、それに導かれるように
これまでの人生を生きてきた。


コンプレックスは、外部に対して、自分には
なにかが足りないと意識することであり、こころ
の中に、空虚な部分を抱えることである。本当
に生きるとは、ただ漫然と生存することではなく、
このような空虚を、よりよい影響を外部に与え
ながら埋めていくことではないかと思うように
なった。


その空虚とはなんだろうか。自分と外部との
差異、外部にあって自分の中には不在なもの
のことである。そう考えるとコンプレックスは、
外部の正確な認識であるともいえる。これを
ちゃんと見つめていくと、外部との接点を見つけ
出すヒントを与えてくれるものでもあるのだ。


コンプレックスは、自分の中の不在を実在に
変えてくれる原動力でもある。いわば、生きて
いくためのジェネレーターでもあるのだ。


しかし、気を付けなければいけないことがある。
それは、コミュニケーションの現場にダイレクト
に、コンプレックスを持ち込むと非常に厄介な
ことになる。自分の中の不在をそのまま他人に
示しても、他人にとっては、ただただ不愉快な
ものでしかなく、齟齬を生じさせ、ディスコミュニ
ケーションを導く。コンプレックスは人に見せる
ものではなく、自分の中に内在させて、前向きな
ジェネレーターとして機能させてはじめて、人が
生きていく上で有効なものになる。


ここ一週間のいくつかの殺人事件は、いずれも
コンプレックスを表面化させたことで生じたもの
であるように思えてならない。


コンプレックスは、人生のジェネレーターである。
ポジティブにコントロールすることでハッピーに
生きていきたいと思う。