rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

脱主従関係


世の中のほとんどの部分が主従関係で構成
されている。そして、そのほとんどがあらかじ
め用意された主従関係である。


主従関係がまったくダメだといっているのでは
ない。理由やプロセスなき関係がダメだといい
たいだけだ。


主従の関係がある場合、下の人間は上の人間
の指示を待たなければ動くことができない。その
上、両者が何も考えていないと最悪だ。そんな
関係はいらない。


まちづくりや建築の設計の仕事に携わっている
とこの旧来の固定化された主従関係の弊害に
よく出合う。この関係が組織の展開性や活性化
を阻害していることがよくある。それぞれの
参加者が自分のあたまで考え、自ら行動する
ことを阻止してしまっている。


組織は、参加者が自立していないとダメになる。
下のものが上のものの指示待ちでしか動かなく
なってしまったらもうおしまいだ。


自立したもの同士で、能力に差がある場合、上
のものが下のものに尊敬され主従関係を結ぶ
ことは全く問題ない。それが形骸化してしまうの
が問題なのだ。


一回、これまでの主従関係をゼロに戻して新しい
関係を築いてみてはどうだろうか。