rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

「テキトー」のすすめ


10代、20代のころは、とにかく、ものごとは一貫性を
もって進めなければいけないと考えていた。


でも、ものごとは思ったようには展開しない。想定した
とおりに、コトは起こらない。人生は、予想外の展開
ばかりである。


こんな状況の中で、一貫性をもって対応していたら、
身が持たないばかりでなく、いろいろなかたちで現れ
てくるものごとに全く対応できず、さまざまな齟齬を
生じさせる。


そんなことで、現在取っている方法が、「テキトー」に
ものごとを進めてみるというやり方である。着地したい
ところを意識し、大きな方向性を持って、ものごとに
柔軟に対応していく生き方である。決して、いい加減に
生きるという意味ではない。


大体、想定されることをすべて抑えて、一貫して
ものごとをはじめるなどということは、到底できない。
だから、みんな新しいことをはじめることに躊躇して
しまうのだ。できることをできる範囲内で、とりあえず
具体的にはじめてみて、走りながら状況を把握し、
しなやかに対応していく。これが、「テキトー」精神の
真髄である。


前にも書いた、「開いて生きる」という生き方と通じる
ところがあるかもしれない。プログラムをガリガチに
決めて、機能不全に陥ることほど怖いことはない。
それを避けるには、「テキトー」という考え方が有効
である。


これからも、外に向かって、開きながら「テキトー」に
ものごとと関わって生きていきたい。