rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ヒューマニズムを疑え


以前から、ヒューマニスティックなものを胡散臭いと
思い続けていた。


イカとタコに興味があった。どちらかといえば、イカ
対する興味が大きかった。それらを比べると、方向性
があること、群れになってたおやかに泳ぐ姿の不思議さ、
などにおいて、イカに優位性を感じた。そんなイカ性の
ようなものの不思議をずっと思ってきた。


そんなことを考えていたことがあったので、本屋さんで、
イカの哲学」中沢新一・波多野一郎著(集英社新書
を見つけたとき、すぐ手に取らざるを得なかった。


カミカゼ特攻隊を経験した波多野氏が、アメリカの
スタンフォード大学に留学して、アルバイトで大量の
イカを冷凍処理する仕事を通して、真の平和観を見出
していく著書をもとに、中沢氏が、これを21世紀の新しい
平和学として説いた本である。なかなかの名著だと思う。


その中に、先のヒューマニズムを批判するくだりがある。
それは、日本語にすれば、人間中心主義。人類を中心に
据えた世界観である。そこでは他の動物も植物も環境も
地球さえも、人間を支えるための物質として捉えられる。
その限界にも言及されている。


平常態では、生物は自己と非自己を明確に分離して
生きている。ところが、生殖時には、いったん、自立性
を解除して、生命の連続性を獲得して、新しい生命を
生み出す。戦争においても、これと同じように自立的
世界から離れて、連続性を獲得する側面がある。狩猟
の延長として、人間の本能的な側面として、必然的な
ものであると捉えられている。こうした状態をジョルジュ・
バタイユからの引用で、エロティシズム態とする。その
とき、まさに、イカ的連続性が、立ち表れているのだ。


ところが、近代戦争では、狩猟の延長としての戦争を
超えて、イカを魚網で何万匹も捉えることで、イカ
実存としてのイカではなくタンパク質としてのイカ
変貌するように、人間の実存を無視した「超戦争」が
なされるようになった。それを現実に体験したのが
原爆攻撃を受けたわが日本である。この日本こそが、
この超戦争を回避させる役割を担っているという。


ヒューマニズムの視点だけでは、捉えられない次元が
立ち表れてきているのだ。あらゆる生命、物質、それら
の複合体を総合的な視点で考えることで、人類の外部
にも想像力を及ぼすこと、そして超戦争を阻止すること、
が求められている。これこそが新しい平和学、「超平和」
である。


安易なヒューマニズムを疑うこと、そしてイカの持つ
イカ的連続性に思いを馳せること、そこに現在を考える
ためのヒントがある。