rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

なにを信じればいいか


10代、20代のころは、自分の外部になにか
信じるべきものがあると思って、本を読み、
絵をみて、音楽を聞き、芝居やダンスを観て
きた。


30代になって、外部には信じるべきものは
ないことに気付いた。ならばどこにあるのか。
自分の中にも何もない。


自分と他者、自分と他の生物、自分と社会、
自分と世界、自分と宇宙、それらとの関係
の中にそれはあるのではないかと考えるよう
になった。


それらと関係していくときに、なにかに突き
動かされる感覚とでもいおうか。そうした見え
ざる流れや力によって、自分が考え行動して
いることに気付いたのである。


いろいろなものの関係が、紡ぎだしてくる
流れや力こそが、唯一信じられるものである。


外部にも自分の中にもなにもない・・・。


最近、あたまの中が荒川修作化、中沢新一
してしまっている。自分がそういう流れの中
にあるということか。