rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

はまれる場所を見つけるのも結構難しい


自分は、中学時代から建築家になりたいと
思っていた。それから、ずっと同じ思いで
ここまでやってきた。人に言えないほどの
苦しさや板ばさみ、深い挫折はあったもの
の、いま、以前考えていた通り建築の設計
を仕事として生きている。


いま、こんなに仕事いただけているのは、
ほんとにたまたまだと思う。自分の力では
なく、自分がはまる仕事を見つけることが
でき、それを周囲の人たちが後押しをして
下さっていることで、たまたまこうした自分
があると考えている。


世の中のエライ人たちは、自分探しをして、
自分の好きなことを見つけなさい、と高圧的
なことをいう。そうであるにもかかわらず、
義務教育の世界では、こんなことだれも
正確に子供たちに伝えていない。教育制度
自体もそれをサポートできるようになって
いないように思える。


多くの人は、自分の居場所はここにあると
いえる「はまれる」場所を見つけ切れていない
ままなのではないか。選択肢が数多くあるが
ために、そのことすらも大変な時代になって
しまったのか。


「はまれる」場所を見つけることも難しいのに、
好きなことを見つけるなんて至難の業である。
たとえ見つけたとしても、それで生活して
いける保証もない。


やはり、なんらかのツテで仕事をしていく
中で、この仕事ならずっとやっていっても
いいという「はまれる」仕事が見つかれば
いいような気がする。


一生付き合っていってもいいと思えるような
仕事さえ見つけられればいいのだ。もしそれ
が好きになれればもっといい。


もうちょっと、気楽にオプティミスティックに
考えてもいいような気がする。それを見守る
大人たちも、もう少しおおらかな気持ちで、
子供たちと接すればいいと思う。


強制的に見つけなければいけない「好き」では
なく、内的必然性から生じる、仕事をやって
いく中で、自分が自然にはまってしまう「好き」
を見つけていければいいと思う。