rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

頼まれるか、命令されるか


私が、人間関係でもっとも嫌いなことのひとつに、
命令されることがある。直接、命令されたり、発言
の中に命令的な意思を感じた場合、自分のコミュ
ニケーション機能を無意識に遮断してしまう傾向が
あるようだ。


自分に限らず、命令されるということは、多くの
人たちが好まないものだといえるだろう。にも
関わらず、あいかわらず、組織の中などでは命令
は発せられ続けている。命令し命令する関係は、
命令された内容しか実を結ばない。私のような
人間の場合だと、なにもないどころかマイナスの
ものしか生み出さない。


命令が横行する理由は、財力や知に関して富める
人たちがその力にものを言わせて、その意思が
ない人に、自分たちが好きなようにしたいがため
に過ぎない。不均等な関係が命令をもたらして
いるのだ。


自分のあたまで考える自由な意思を持った人間
同士だったら、原則、命令し命令される関係は成り
立たないだろう。もしそうした意思の伝達をするの
なら、頼み頼まれる関係でしかありえない。


そういう私は、かなり無理な内容であっても心から
頼まれた場合、何とか頑張って、頼まれたことに
報いようと努力してしまう。頼まれると弱い人間
である。私を動かそうとするなら、ぜひ、心から
頼んでみてください。イヤ、とはいえず頑張って
しまう私がそこにいるはずです。


命令し命令される関係が、命令している内容以下
のものしかもたらさないのに対して、頼み頼まれる
関係は、2倍3倍いやそれ以上のものを双方にもた
らす。


頼む頼まれる関係は、双方にとって対等な関係で
ある。ゆえに、頼むということは頼まれることでも
あり、頼まれるということは頼むということである。
対等な一対一の関係こそが望ましい人間関係なの
だと思う。


商売なども含めて、ほんとうに心から頼む頼まれる
関係で世の中が成り立っていけば、現在の物理的
なエネルギーの節約にもなるし、限られた資源の
中で最大限の社会的なパフォーマンスを得ることが
できるだろう。


●写真は、きのう事務所のポーチを横切って行った
大きなカタツムリ。さあ、きょうも仕事だ。