rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

フツウはラディカル


普通には、大きく分けてふたつの普通がある。


一つは、世間の誰もが認識でき、これといって
優れたところも劣ったところもないものをいう。
世間の非難の対象にもならないものである。


もう一つは、個人や限られた集団のみが共通
認識しているもの。他人や他集団から見ると、
特殊だと思えても、本人やその集団にとっては
ごく日常的なものである。


個人は、通常、前者と後者の普通にいつもさら
されている。その結果、世間の普通の方が強大
で、押しやられてしまうのが常のようだ。


しかし、大事なのはどちらだろうか。どちらが
人々がハッピーに過ごせるのだろうか。それは
個人のフツウに生きるほうがいいに決まって
いる。世間に迷惑をかけない範囲内で、個人の
フツウを追求できる環境をつくっていきたいと
考えている。